まだ四月はじめというのに、暖かさを通り過ぎて、
昼間は暑いと感じる日もあるほどです。
これまで、場所ごとに相撲の取り組みなど書いてきました。
今でも、取り組みそのものは楽しんでいるものの、
日馬富士の一件以来のごたごたで、
ブログに相撲のことを書くことがおっくうになっていきました。
おさまっていくのかと思う頃に、また新たな問題が起こり、
取組以外の相撲の話題は、途切れることがなかったように思います。
連日マスコミで何が真実かわからぬまま、
いろいろな人がコメントをはさみつつ流され、
重要なことだけではなく、知っても知らなくてもいいことまでも、
聞かされることにもなる。
純粋に土俵の上での取り組みを楽しみたいのですが、
相撲にまつわるさまざまな出来事が多すぎました。
そんなわけで、相撲に関するブログも更新せずにいましたが、
今回の「土俵は女人禁制」の件、少し思うことがあったので、
全くの私信ですが書いてみることにしました。
発端は、巡業中の舞鶴の土俵上で市長が挨拶中に倒れた際に、
看護師の女性などが土俵に上がり、救命措置を取っている中、
「女性は土俵からおりてください」のアナウンスが流れたことです。
人の命よりも、伝統を重んじるのか・・という批判が出たわけです。
報道として、海外にも流れていきましたが、
そこでは、女性に対してuncleanであるがために土俵に上がることが許されていない、
との記事もあったようです。
そもそも、なぜ日本の大相撲の土俵が女人禁制なのだろうかということです。
いくつか調べてみたところ、様々な説があるようでした。
女性である私は、相撲に関わらず、女人禁制であることには、
それなりの理由があるのかもしれないなと思ってきたこともあります。
女性を排除するということではなく、女性には危険でさせたくないことに対して、
男性が守る気持ちで作った風習もあるだろうとの思いです。
性善説です。反対に考えれば、女性だけしか入れないところもあるわけで。
何らかの深い理由が、長年の知恵として蓄積して出来たこともあるだろうと。
風習には、昔の人がやらない方がいいだろうということを、
言い伝えてきたことがあるだろうということです。
例えになるかはわかりませんが、「夜爪は切るな」であれば、
昔は夜は暗く、ろうそくの灯などで爪を切ると危ないことや、
世を詰めるというような、良くない言葉を連想させるなど、
わざわざ危なっかしいことをするなよ、という戒めのように思います。
ただしかし、日本の相撲の土俵での女人禁制は、そういうことではなさそうに思います。
日本書紀には土俵に上がるどころか、女性が相撲をとっていたことも残っているようですし、
今でももちろん女性相撲も行われています。
それにも関わらず、土俵上に女性が上がれないのはなぜか。
相撲の神様が女性なので、女性が土俵に上がると嫉妬するなどという説もありました。
男が体を張って戦う場所で、女性に惑わされないためという説も聞かれました。
神道思想で血を穢れとすることにより、女性を上がらせないという説もあります。
このことで、海外の報道のuncleanという単語がでてきたのでしょう。
一つだけの理由ではないかもしれません。
しかし、穢れという思想がもし理由の一つであるのだとすれば、
神道を深く知らなければ語れないと言われればそれまでですが、
やはりすっと腑に落ちてはいかぬものを感じます。
何かしらの理由がひそんではいるのでしょうが・・です。
男性も女性も、あたりまえですが女性が産みました。
通算で何十年もの毎月の生理を過ごしつつ、十月十日お腹の中で育み、
産むときにはまさに命がけで、一つの命がこの世に産まれ出るわけです。
なので「命」は重い。
今回も、市長の命が何にもまして尊重すべきものであったのはいうまでもないことです。
この点からすれば、何が穢れじゃ!という気持ち。
「血」や「死」は果たして「穢れ」なのかというところに話は及び、
深い考察がなければ、ここは語れなくなる。
伝統として、土俵に女性が上がれないことに対して目くじらを立てすぎるのも、
それぞれの伝統というものを無視するようでどうなのかという気持ちもあります。
が、しかし、その理由が、こと穢れの思想からであるのならば、
私個人としては、この科学の発達した現代を生きる人間としてどうなのかと感じています。
相撲協会も、歴史を紐解き、なぜ女人禁制になっているのかを説明し、
「あぁ、そういうことならば、今回のような緊急事態を除けば、
そんな伝統も残していけばいいのでは」と納得する人も多いのではないでしょうか。
それなら、海外報道でのuncleanという単語も出てこないでしょう。
市長が担架で運ばれた後、土俵にたくさん塩をまいたことも、
あのアナウンスがあった後だけに、女性が上がってしまった土俵を清めたと思った人も多かったようでした。
よく聞いてみれば、ケガをしたりした後は、それの連鎖を起こさないように、
塩で土俵を清めることはあるようです。
たしかに、力士たちも自分のケガの箇所にさっと塩をまいたりしています。
であれば、なぜ迅速にその場で説明ができないのかと残念に思います。
そういう機転がきくことも、公益法人という組織には必要なことなのでは。
今の時点で自分の知り得たことから、感じたことを綴りました。
土俵の女人禁制
2018.04.07